1黒川温泉の成功の歴史
黒川温泉は熊本県南小国町は大分県との県境に近い、人口5,000人程度の農村地域です。南小国町の温泉地は6箇所あり、黒川温泉は26軒の温泉旅館がある小さな温泉地で、1980年頃までは田舎のひなびた小さな温泉地でした。そんな温泉地を全国的に有名にした最大の功労者は、後藤哲也さんという旅館経営者だと思います。
祖父が始めた旅館を後藤さんが継いだのは、日本の高度成長期に入りつつあった1950年代後半。その頃、2軒の旅館が黒川温泉へ進出し、後藤さんの旅館はこれといって特徴もないため、危機感を持った後藤さんは旅館の売り物を創ろうと、裏山を手で掘り、洞窟風呂を造りました。また、同時期に京都や軽井沢を視察し、どうしたら客を呼べるか、後藤さんは勉強しました。そこで学んだのが自然との共生です。
1960年頃に後藤さんが旅館を新築するとき、周囲の自然と溶け込む旅館を作り上げました。そんな努力が実って、ひなびた温泉地であった黒川温泉の中でも人気を呼び、固定客が増えました。猛烈に働く日本人は世界から賞賛される経済復興を遂げる一方、ストレスを抱える人も多くなり、後藤さんが目指す自然と共生する温泉旅館は、ストレスを持つ人たちを癒す効果もあって人気を集めました。しかし、当時は別府に代表される温泉地が人気を得ており、温泉旅館が団体客向けに大型化していた時代だったので、後藤さんの取り組みは他の旅館経営者から評価されなかったようです。
2 ターニングポイント
1970年代、団体客を泊められない黒川温泉は相も変わらず湯治客を相手にするひなびた温泉地で、暇な旅館の若手経営者たちは昼間、ソフトボールに興じていたそうです。そんな状況に満足できないある若手経営者が、黒川温泉で唯一繁盛している旅館を経営する後藤さんに教えを請いました。そして、後藤さんの言うとおりに露天風呂を造り、雑木林の庭を持った旅館へ改装したところ、客が増えました。
そうなると、他の若手経営者もソフトボールに興じている訳にはいかなくなり、こぞって後藤さんから指導を受け、旅館を改装し、繁盛する宿へ変身させました。後藤さんが商売敵である他の旅館経営者へ成功のノウハウを伝授した理由は、後藤さんは自分の旅館へ持続的に集客するため、黒川温泉を一つの旅館に見立て、温泉地全体で集客する戦略を持っていたからです。黒川温泉の各旅館は、部屋であり、道路は廊下。宿泊客は旅館を楽しむだけではなく、黒川温泉という地域を楽しむことができる。後藤さんは他の温泉旅館を商売敵ではなく、一緒に黒川温泉を創る仲間と見ていたのです。
3 旅館経営から地域づくりへ
その後、後藤さんが中心になって若手経営者と一緒に黒川温泉をもり立てていくようになりました。敷地面積の関係上、露天風呂を造れなかった旅館を救うために、1986年から黒川温泉の他の旅館にある露天風呂へ入浴できる入湯手形を始めました。また、1987年に個別旅館の看板の撤去と共同看板の設置、1995年に始めた共同テレビ広告。こうした集客戦略で後藤さんの「黒川温泉一旅館」のコンセプトを推進しました。その結果、黒川温泉の入り込みを年間120万人にまで押し上げ、全国的に有名な温泉地となりました。特に入湯手形は露天風呂をはしごできる楽しみを提供し、全国の温泉地の中から追従地域を出すほどの仕組みとして評価されています。
しかしながら、黒川温泉が有名になったことで、弊害も出てきました。日帰り入浴客が大型バスでたくさん来るようになった事は最大の弊害かもしれません。というのも黒川温泉の宿泊客が好む、落ち着いた雰囲気が崩れてしまうからです。そこで、入湯手形を宿泊客にのみ販売し、日帰り入浴を制限することを旅館組合で行なうようにしました。持続的成功のためには、痛みを伴う改革でコンセプトを守り抜く。そんな姿勢を感じられます。
3 成功の秘訣
黒川温泉の成功の秘訣は何か。第一に温泉旅館のコンセプトを癒しの宿とし、自然と共生した建物と露天風呂で旅館の成功モデルを作り上げ、大きな消費力を持つようになった女性個人客を個々の旅館が集客できたこと。各旅館でおもてなしを徹底し、特に女性を優遇した施設づくりをしています。
第二に黒川温泉を一つの旅館に見立て、地域全体の集客力を上げ、個々の旅館も繁盛する、地域で共存共栄する仕組みを持ったこと。個々の旅館の競争だけでなく、全国の温泉地との競争を見据え、地域の魅力を向上させていきました。そうしたビジョンとそのビジョンを実行する団結力を地域全体で持てたこともあります。
第三に周囲から疎んじられながらも自らが信じたビジョンに向かって不断の努力をし、その成功を地域の他の旅館と共有した後藤さんのリーダーシップです。成功している地域づくりの裏には傑出したリーダーの存在があるケースも多いが、そのリーダーシップを黒川温泉観光旅館協同組合という組織で継承できたことは、今後の黒川温泉の地域づくりにとって大きな意味を持ちそうです。
黒川温泉の成功は、旅館24軒という意思統一して団結しやすく、多様性を持てる旅館数であり、地域的に密集していたという集積地としての特性があります。また、温泉旅館の大型化に乗り遅れた事が、時代の変化と共に逆に強みになった事情もあります。したがって、黒川温泉の成功の戦略がどこの温泉地でも成功するとは限りません。しかしながら、この黒川温泉の地域づくりから多くの事を学べるのではないでしょうか。
スポンサーサイト
テーマ : 企業経営 - ジャンル : ビジネス
コメントの投稿